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平和と統合の世界指導者:金大中、ブラント、マンデラ国際学術会議の祝辞

By 한반도평화만들기    - 23-09-25 11:07    1,139 views

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2023.09.12 


財団法人韓半島平和づくり理事長洪錫炫(ホン•ソクヒョン)



遠くからいらっしゃった「ビリー•ブラント財団」のヴォルフラム•ホッフェンシュテット所長、「ネルソン•マンデラ財団」のベルン•ハリス代表、行事を準備してくださった、延世(ヨンセ)大学の朴明林(パク・ミョンリム)教授に感謝いたします。


今日、世界は民主主義の後退、米・中葛藤の悪化、ロシア•ウクライナ戦争の長期化という複合的危機に直面しています。韓半島では北朝鮮の核が日増しに高度化し、南・北、米・北の関係が断絶した状態です。非核平和の解決策は見えていません。韓国内部は与・野党、保守と進歩の陣営葛藤が最悪の状況に達しました。対話は消え、いかなる政治的合意も期待できない状態です。国内的には統合、国際的には平和がこの時代の切実な課題です。統合された国のみが世界平和に貢献することができ、共存と繁栄することができます。


それこそが今日、20世紀の3人の巨人である韓国の金大中大統領、ドイツのビリー•ブラント首相、南アフリカ共和国のネルソン•マンデラ大統領の生涯と現在的価値を考える場を設ける理由でしょう。3人は最初の連合政府、大連立政権、白黒の統合政府を樹立しました。民主主義の次元を高め、南北和解、ドイツ統一、南アフリカ共和国の葛藤解消に先駆的な役割を果たしました。アジア、ヨーロッパ、アフリカの境界を越え、人類の平和に貢献しました。非常に長い間、一人の人間として耐え難い差別と抑圧、苦痛を受けながらも、屈せず起きた超人たちでした。最高指導者になった後は、復讐と懲罰の代わりに許しと和解、共存で国内統合と世界平和の道を開きました。


金大中氏とブラント氏は、一生お互いを尊敬し、大切にしていた格別の仲でした。 ブラント氏は、1980年金大中氏が全斗煥(チョン・ドゥファン)新軍部によって死刑を宣告された時、救命の先頭に立ちました。1987年、社民党の議員73人の署名を得て、金大中氏のノーベル平和賞推薦書をノーベル賞委員会に提出しました。金大中氏は「私は、彼に一生お世話になった。異国の地から離れて暮らしていたが、どうしてそんなに自然に交感できたのか振り返ってみると不思議なだけだ。」と振りかえました。


ナチスと戦ったブラント氏は、ノルウェー亡命時代に追跡を避けるため、本名の「プラム」を捨て、以後ブラントで暮らした波乱万丈な逆境の主人公です。しかし1966年、ナチス宣伝部幹部出身のキージンガー氏を首相とする、ドイツ初の大連立政権に参加し、副首相兼外相として働きました。彼は東ドイツを孤立させるため、東ドイツと国交を正常化した国とは国交正常化をしないという「ハルシュタイン原則」を破りました。これを容認してくれたのがキージンガー首相です。東欧諸国との国家関係の改善のため、ヨーロッパを一つの共同体として結び、その中で選択権を広げ、究極的に統一を引き出した遠大な構想である東方政策の出発点でした。


私は、共存とは生存のための唯一の機会であるというブラント氏の転換的発想が、ヨーロッパと世界の歴史を変えたと信じています。ブラント氏の東方政策は、金大中氏の太陽政策のロールモデルでした。金大中氏は、1971年の大統領選挙に出馬し、ブラント首相の東方政策を支持し共感するとしました。「平和と遊離した民族の利益は存在しない。」と言ったブラント氏のように、武力統一に反対しました。金大中氏の4大国安全保障論と南北和解平和統一論は、北東アジアの平和というマクロ的な次元で、南北問題の解決策を模索しようというものです。世界主義者であるブラント氏が、ドイツの統一は、ヨーロッパの平和秩序内でのみ考えられると言った論理と同じ脈絡です。


金大中氏の東アジア共同体構成提案は、ブラント氏の欧州共同体、欧州連邦国家建設提案と似ています。ブラント氏がナチス出身のキージンガーと手を組んだよう、金大中氏も自分を弾圧した朴正熙(パク・チョンヒ)政権のナンバー2であるの金鍾泌(キム•ジョンピル)氏と連合政府を構成しました。経済官僚は金鍾泌系で、彼らは金大中政府が通貨危機を克服するのに大きな役割を果たしました。それは統合の偉大な力だったと信じています。金大中氏は大統領に当選した直後、自分を死刑にしようとした元大統領の全斗煥氏の赦免を建議しました。「私が死んでも二度とこのような政治的報復があってはならない。」と言った最後の陳述を自ら実践しました。彼は朴正熙元大統領の記念館建設の先頭に立って顧問を務め、200億ウォンを支援しました。被害者が加害者を許しました。生きた者と死者の感動的な和解です。


南アフリカでは、白人が占領してから340年間の過酷な人種差別政策で、300万人以上が死亡、または行方不明になり、投獄された黒人の地獄でした。惨状を経験したマンデラ氏は、暴力武装闘争をした強硬派でした。しかし、27年間の刑務所暮らしを通じ、許しなしには未来はないということに悟りました。彼が釈放されて大統領になると、南アフリカ共和国では、第2次世界大戦の戦勝国がナチスの犯罪者を全員処罰したような「ニュルンベルク裁判」の方式を望んだ人が多かったです。しかし、マンデラ氏は、逆に「忘れない許し」というメッセージを送りました。復讐と処断の代わりに真実と和解委員会を作りました。一体正義はどこにあるのかという反発がありました。しかし、マンデラ氏は、動揺せず、白黒人種の和解政策を推し進めました。自分を監視していた白人の刑務官3人を大統領就任式の際に貴賓席に招待しました。自分を法廷で冒涜し、刑務所に送った検事を招待して昼食をとりました。冷酷な刑務所長をオーストリア大使に任命しました。


6年間の刑務所暮らしをした金大中氏は、韓国のネルソン•マンデラと呼ばれていました。マンデラ氏は1997年、彼が4度目に大統領に出馬した時、三女の夫婦を送って励まし、獄中でずっと着けていた腕時計を金大中氏にプレゼントしました。金大中氏は維新体制と亡命時代に持ち歩いていた古いバッグをプレゼントしました。金大中氏は2005年、マンデラ氏の自叙伝である「自由への長い道」を韓国語に翻訳し、本にこう書きました。「マンデラ氏は、白人を良心の刑務所から解放させました。 勇気のある人でこそ、許しができます。」


皆さん、平和と到達するための統合は、考えを異にする人々まで網羅する傾聴と和諍の美徳を発揮してからこそ実現することができます。私が「韓半島平和づくり財団」と「リセット・コリア」というプラットフォームを作り、各界の知識人と共に小さな努力を傾けてきた理由です。金大中、 ブラント、マンデラ氏の人生は、汎父の想像を絶する許しと和解で、統合と平和という祝福をプレゼントしました。私たちは今日、世の中が偏狭な陣営論理と愚かな白黒二分法でどのように分裂しているのかを経験しています。利他的実践に満ちた3人の人生は、危険な時代を生きている私たちに省察と覚醒の響きになるでしょう。ご静聴ありがとうございました。



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